済生会小史
明治44年2月11日、明治天皇は、時の総理大臣桂太郎を召されて「恵まれない人々のために施薬救療による済生の道を弘めるように」との済生勅語に添えてお手元金150万円を下賜されました。
桂総理はこの御下賜金を基金として全国の官民から寄付金を募って、同年5月30日恩賜財団済生会を創立しました。以来今日まで、社会経済情勢の変化に伴い、存廃の窮地を乗り越えるなどの幾多の変遷を経ながらも、本会は、創立の精神を引き継いで保健・医療・福祉の充実・発展に必要な諸事業に取り組んでいます。
戦後、昭和26年に公的医療機関の指定、同27年に社会福祉法人の認可を受け、現在、社会福祉法人恩賜財団済生会となっています。
総裁 | 秋篠宮皇嗣殿下 |
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会長 | 潮谷 義子 |
理事長 | 炭谷 茂 |
本部 | 東京 |
支部 | 40都道府県 |
済生会・紋章の由来
初代総裁・伏見宮貞愛(ふしみのみやさだなる)親王殿下は、明治45年、済生会の事業の精神を、野に咲く撫子(なでしこ)に託して次のように歌にお詠みになりました。
露にふす 末野の小草 いかにぞと あさ夕かかる わがこころかな
─野の果てで、露に打たれてしおれるナデシコのように、生活に困窮し、社会の片隅で病んで伏している人はいないだろうか、いつも気にかかってしかたがない─
この歌にちなんで、いつの世にもその趣旨を忘れないようにと、撫子の花葉に露をあしらったものを、大正1年以来、済生会の紋章としています。